映画『カミーユ・クローデル』ってどんな映画?
映画『カミーユ・クローデル』(Camille Claudel)は1988年、フランスの伝記ドラマ映画。 18~19世紀フランスに実在した女性彫刻家カミーユ・クローデルの壮絶人生を映像化した文芸作品です。 『愛と宿命の泉』や『ブロンテ姉妹』の撮影監督として有名なブリュノ・ニュイッテン(Bruno Nuytten)が初メガホンをとった作品です。 そして、己の才能に支配された悲劇のヒロイン、カミーユ・クローデルを演じてるのはイザベル・アジャーニ(Isabelle Adjani)。 ブリュノ・ニュイッテンが撮り続けてきた運命の女優であり、プライベートのパートナーでもありました。 彼女の魅力を知り尽くしてる人。 だからこそ、映し出される表情のひとつひとつが芸術に見えてくる。 彫刻を打つ音、粘土のリアルな質感と音、ロケーションの美しさにまみれ、官能を増していく表情…。 近代彫刻の巨匠オーギュスト・ロダンをも苦悩させた魅惑の女、カミーユ・クローデルを憑依的に演じ切っています。 美しくも残酷な運命、不器用すぎるピュア愛に陶酔しまくりです。。 芸術に刺激されたい、酔いたい、翻弄されたい時にぴったりな作品です。 |
映画『カミーユ・クローデル』あらすじ

1885年、パリの深夜。 必死の形相で土を掘る女性がひとり…彼女は駆け出しの彫刻家カミーユ・クローデル。 搔き集めた泥を詰め込んだボストンバッグはパンパンで、か細い彼女が運ぶには重たすぎる。 それでも徹夜で作品を作るため、夜警に睨まれるのもお構いなしに”火事場のくそ力”でアトリエに運び込む。 明日は近代彫刻の巨匠オーギュスト・ロダンが我がアトリエにやってくる。 「私の作品を必ず認めさせてやる!」 その一心で武者震いが止まらない。 でも、アトリエにやって来たロダンは彼女の作品について何も語らなかった。 腹立たしさと闘志に火が付いたカミーユは、つれない態度のロダンに対し強烈な執着心を抱くようになっていく…。 陰ながら彼女の才能に怯えるロダンと、ロダンの後押しで大成したいカミーユ。 交わることのない2つの感情はいつしか「お互いへの欲望」に変わり、踏み込んではいけないステージへと飲み込まれていく…。 |
映画『カミーユ・クローデル』キャスト&登場人物の特徴
カミーユ・クローデル(演:イザベル・アジャーニ)

カミーユ・クローデルは若くて無名、だけど天才的な才能を持つ彫刻家。 ごく一部の人間にしか知られてないけど、プロも震え上がるような彫刻の才能と芸術的アプローチを伏せ持つ天才肌です。 しかも美人なのに、社会性の欠如と融通性のなさが災いして世間から認知されにくい。 「踏み台」とすべき人間から踏まれ、ただただ必死に翻弄され、行くべき場所を見失う。。 そんな破滅型人間なのです。 カミーユを演じてるのはフランスの宝イザベル・アジャーニ(Isabelle Adjani)。 この時すでにカンヌ女優賞を2度、セザール賞を2度も受賞していましたが、本作で3度目のセザール賞を達成。 カミーユになりきった彼女の演技は恐ろしいほどの憑依っぷりです。 捉えどころのない目の動き、予測不可能な激情、近づく男性を幻惑させる物憂げな色気…。 まさにファムファタル! 製作総指揮にも名を連ね、本気度MAXで作品に挑んでいます。 |
オーギュスト・ロダン(演:ジェラール・ドパルデュー)

オーギュスト・ロダンは近代彫刻の巨匠と呼ばれつつ商業的なアプローチにも長けていた大物彫刻家。 社交的で女遊びも上手。 カミーユが芸術家ならロダンは商業作家…と言うべきで、元来根本的な違いがある。 彼は商業ベースで作品を打ち出し、効率的に弟子を使い、これらをリッチな生活に結び付ける術を知っていました。 そして人々を歓喜させる。 まさに、自他共に認める「偉大なる彫刻家」なのであります。 そんなオーギュスト・ロダンを演じているのは、これまたフランスの宝ジェラール・ドパルデュー(Gérard Depardieu)。 悶々としてますなww。 それが味。 その場にいるだけで苦悩が蔓延してくるカンジ。 お得意の「押し殺した演技」が味わい深すぎて憎らしい。 ロダンの焦り、図々しさ、降って湧いた欲情…その全てを体に染み込ませた濃厚演技がタマらないのです。 |
ポール・クローデル(演:ロラン・グレヴィル)

ポールはカミーユの弟にして最大の理解者です。 後に劇作家・詩人・外交官として大成しますが、まだ手探りの青春期は「姉への崇拝(依存)」が人生の総てでした。 ユーゴーのような作家になる夢、才能ある姉への崇拝…でもなんだか漠然とした人生。 大物になりたいと願うだけ。何も成し得ていない。 そんな悶々とした日々の中、ある日急に夢の対象だったユーゴーが亡くなり、人生の師である姉が人生に迷走し始める…。 そこで、やっと内なる自分に目覚めるのです。 「俺は姉みたいにならない。内なる神と共に夢を掴み取る!」 強い意志を味方につけ邁進していきます。 そんなポールを演じてるのはロラン・グレヴィル(Laurent Grévill)。 この時はまだデビューしたての新人俳優でした。 ゆえにピュアな感性が光る。 ただただ妄信的に姉を崇拝する精神的不安定さ、悔しさをバネに成り上がるアグレッシブさ。 総てが等身大で好感度大なのです。 この後もコンスタントに映画出演し続けていて、最近では特にTVシリーズが好評のようです。 |
ルイ=プロスペール・クローデル(演:アラン・キュニー)

ルイ=プロスペール・クローデルはカミーユの父。 「代々クローデル家は抜きん出た一族である」という信条のもと、自分には成しえなかった成功をカミーユの才能に託して生きている。 カミーユが成功すれば「クローデル家の血筋が偉大である」ということを世に知らしめることが出来る。 その野望に必死すぎて、基本的にカミーユ以外の家族が見えなくなる傾向があります。 そんなルイを演じているのはアラン・キュニー(Alain Cuny)。 『エマニエル夫人』のマリオ役でもお馴染みの俳優さんですね。 因みに…1956年にはヴィクトル・ユーゴーの小説映画『ノートルダムのせむし男』に主人公の養父となるフロロ役で出演してましたが、本作『カミーユ・クローデル』では我が息子ポールがヴィクトル・ユーゴーの崇拝者。 ユーゴー繋がりの2作品で報われない父を演じてる…という共通点に因果を感じます。 本作では妄信し、我を見失っていく父親像をドラマチックに演じあげています。 |
映画『カミーユ・クローデル』~ヒロインの人物像&人間関係を深掘り~
カミーユと父親、歪んだ愛

カミーユの父はとても理想の高い人物です。 故に「クローデル家は代々抜きん出た一族である」という名分に囚われて生きている。 そして、そんな彼が天才肌な娘を授かったのは悲劇としか言いようが無い。 異常なまでにカミーユを溺愛し、気付けば<2人だけの世界>を作ってしまってた。 カミーユ以外の家族が視界から消えていく。 クローデル家の才能、我が誇りカミーユに総てを捧げ妄信していく。 家族よりも創作、友達よりも創作…。創作にさえ集中してれば何でも思い通りにさせてあげた。 彼女の創作に必要とあらば、重労働で稼いだ生銭も欲しいだけ与えた。 しかし、この歪んだ愛が産んだのは社会性の欠如。 父以外の愛を知らず、世間ズレし、お金の価値も分からない「籠の中の鳥」なカミーユ。 才能を膨らますだけ膨らませ、披露する術を持たず、やがて自爆する大きな子供。 ・・・隔たった愛。 本当に怖い。 「男性は尽くしてくれるもの」という間違った概念をカミーユに植え付けた責任も大きいでしょう。 |
カミーユと母の確執

そんなルイに嫁いで割を食ってしまった女性…カミーユの母。 若き恋愛時はルイの自己顕示欲も魅力のひとつだったのだろうが、その強すぎる念がお腹に通じてか..流産が続き子宝に恵まれなかった。 そしてやっと授かった子が「望まない天才」だったという。。 彼女が望むのは普通の家庭、ささやかな幸せなのに…。 夫もカミーユも目の下のたんこぶだったから、次男次女に望み(平凡な人生)を託した。 一家の破壊女王カミーユを忌み嫌った。 奔放なカミーユ(天才)vs 耐える母(常識人)、2人の深い確執。 信じるものを奪われ合う、最悪相性の母と娘なのです。 母と娘の確執は女であれば誰にとっても永遠のテーマですし、時に物語を生みもしますが…ここまで溝が深いとかえって潔い。 どちらにも感情移入し難い(笑) 主軸がブレません。 |
カミーユとポールの偏った姉弟愛

そんな特殊すぎる家庭で育った弟ポール。 「姉は特別な存在」という概念を植え付けられて育ち、素直さゆえにそれを信じた。 成長過程で「自分には圧倒的な文才がある…!」と自覚し始めるが、平凡を望む母からはそれを否定され、父からは姉の保護役を押し付けられる。 皮肉にも、偉大なる詩の才能を認めてくれるのは姉カミーユだけだったので、そんな姉を崇拝することで自分を慰めたのでしょう。 いずれはこの独房から逃亡し、羽ばたけることを信じた。 しかしこの奇妙で偏った姉弟愛が長く続くはずもなく、ポールが自我に目覚めた瞬間から一気に崩壊していく。 漠然と崇拝してきた姉カミーユが恋に溺れ、魂を売り、醜態を晒し始めたから。 姉は彫刻以外の世界に無垢すぎた。 「姉のようにはならない!」 その思いを深く心に刻み世界へと羽ばたきました。 利用できるものは利用し、姉をも踏み台にして飛躍したのです。 ポールにとって姉ほど明確な反面教師なんか…この世に存在しなかったことでしょう。 |
カミーユとロダンの嫉妬愛

初めてカミーユのアトリエを訪れた時、ロダンは彼女の非凡なる才能を見抜いていました。 でも気付かぬフリをした。 作品に興味のないフリをし、さっさと部屋を出てしまった。 「自分を脅かすかもしれない天才がここにいる!」と怯え切ってしまった。 一方、魂の分身である作品を一瞥されたカミーユは怒り心頭。 「何が何でも認めさせてやる!」という子供じみた感情に支配され、評価を貰うことだけが人生の目標にすり替わってしまう。 筋金入りの世間知らずが災いし、はじめの一歩で早くも目標を見誤る。 「ロダンに認めてもらいたい」という強烈な感情&嫉妬心から、いつしかロダンの望む作品しか作れなくなってしまう。 自分が何を作りたいのか分からなくなる。 それに対し、彼女への嫉妬心を隠しつつ粛々と目的(才能潰し)を達成するロダン。 父はカンカン!(笑) 娘の純情を利用して囲い込み、才能を奪い、しゃあしゃあと栄華を味わうロダンが憎い。 でも、そこは男と女。芸術家同士。 やがて2人は「禁断の芸術(禁断の恋)」に身を投じるようになる。 どちらが先に滅びるか…。 分かりきってるはずなのに。。 |
カミーユとロダンの妻、類似点と狂気

<禁断の恋>は決して愛なんかじゃない。 歪んだ快楽です。 ロダンは冷静だしそれが分かってるから妻を手放さない。 妻ローズって何の取り柄もない、むしろ社会不適合者なのですがロダンに盲目です。 「ロダンの言うことが全部正解」という依存心のみで生きてるような人。 ロダンは芸術家だから<純粋なる狂気>を愛する傾向があるのかもしれません。。 妻も愛人も傍から見ればそっくり一緒。とっても狂気じみてる。 だからこそ、2人が対峙するシーンは強烈そのものでした。 純粋さほど怖いもんは無い…! だけど、純粋さほど甘美なものも無い。 悔しいくらいに陶酔しちゃう世界観、シネティックの極みですね! |
本当の理解者は誰だった? カミーユと6人の男たち。

本作にはカミーユの理解者が6人登場します。 才能を信じた父ルイ、崇拝してくれた弟ポール、無条件でモデルになってくれたジガンティ、作曲家のドビュッシー、美術商のブロ、そしてロダン。 父ルイは「理解者」というよりはステージママ的な存在だったし、自分を崇拝していた弟ポールはカミーユを踏み台にして羽ばたいていった。。 カミーユの才能と幸せを奪ったロダン、カミーユとの誘惑ごっこを楽しんだだけのドビュッシー…共に魅惑的な彼女からインスピレーションを受け、作品の糧に利用しただけだった。 著名人である彼らの後押し(推薦)で「偉大なる彫刻家」になりたかったけど、世間は父ほど甘くなかったんですね。 何でも言うことを聞いてくれた父とは違い、出会った男たちは思い通りに動かせなかった。 その点、美術商のブロは純粋に彼女の作品を愛しました。 自暴自棄になったカミーユから<後世に残すべき貴重な作品たち>を守った。 目利きの観点から、彼女の才能を本気で理解した人でした。 そして、女性としてのカミーユを心底愛したのはジガンティでしょう。 彼こそが本当の理解者だったんじゃないかと感じます。 ロダンに依存せずに自分の作品を造り、ジガンティが彼女に向ける無償の愛に気付けていれば・・・。 もしかしたら、何かしら報われる人生にはなっていたかもしれない。 自暴自棄になった彼女が最後、無意識に抱きしめた作品は…ジガンティの像でした。 この瞬間の彼女が一番美しく見えました。 |
最後に・・・
長年心に温めてきた「カミーユ・クローデル」。 やっと記事に出来て感無量です。。 初めて観た時からずいぶん経ちますが、成長と共に作品への感想はどんどん変わっていった。 若い頃は、何となくカミーユがカッコ良く見えたりもしたものです。 悲劇に酔う年頃だった…ww。 今、改めて観るともっと深い。 アジャーニの演技も含めて。 いい映画って、年数が増すにつれ味わい深くなるものですね。 |
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